てまりの歴史は古く、多くのいわれがありますが、
中国から日本へと渡来したのは飛鳥・奈良朝時代といわれています。
平安朝時代以降は、公家で盛んに遊ばれるようになりました。
かつては主に玩具として使われていたてまり。
最も古いものは「蹴鞠」と呼ばれる足を使った遊びでしたが、やがて手を使って遊ばれるようになります。
貞応2年には「手鞠会」と記される会が盛んになり、
大人数人が円陣をつくって立ち、てまりをつき渡していく遊びが流行します。
江戸時代に入り、てまりの素材が変わって弾むものになると、
てまりを「つく」遊びが盛んになります。
特に、てまりはお正月の遊びとして羽根つきとともに定番の遊びになっていきました。
また、参勤交代などでお土産物としても使われるようになったてまり。
城下町から農村へと広まり、てまりのつきかたにも、町中と田舎とで変化がみられるようになっていきます。
さらに、女官たちが姫君の遊び道具のために作ったり、お姫様の嫁入り道具や、お殿様への献上品として贈ったりと、
てまりは徐々に「贈り物」としても使われるようになります。
そのような宮殿の名残があり、地域によっててまりは「御殿まり(ごてんまり)」とも呼ばれます。
明治時代に入るとゴムまりが輸入されるようになり、玩具として広まっていきます。
糸で使ったてまりよりも弾むことから、ゴムまりに代替されたてまりは玩具としてではなく観賞用として使われるようになります。
参考文献:新井智一(1990)『ふる里の手毬』源流社